粉屋の大阪to考想

大阪都構想否決を受けて、その辺をだらだらと書いてみます。大阪の政治状況も併せて書いていきたいですね。Twitter: KONAYA @PAN_KOYA

おおさか維新の会の憲法改正原案を見てみよう!

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 今回はおおさか維新の会(以下おおさか)の憲法改正原案について書いてみたいと思います。小ページでは、憲法改正原案と参考資料としての改正原案の二つがあります。最初のは改正原案を提示しており、参考資料はそれに対するおおさかの改正ポイントなどの解釈を付記してあります。今回はこの参考資料を基に、おおさかが考えている憲法改正ポイントとそれに対する私の考えを併記する形で書きたいと思います。とはいえ、憲法素人の私が書くので、頓珍漢なものになる可能性大ですがw まあどういう点で勘違いをするかという点も面白いと思うので以下進めていきます。

 ① 学校教育の無償化と教育の機会均等の明確化

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【現行】

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する

紫部分は改正部分)

 おおさかの考えとしては従来のものに、「国民の教育を受ける権利に関し、経済的理由によってその機会を奪われない旨を明確にする。」ということですね。

 私の解釈としては、教育を受ける若者は将来の主権者としてその能力を最大限にするために教育を受ける権利がある。その為に就学援助を受ける権利を若者は有しているのだということを「経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない」としているのだと思っています。私はこの改正に賛成をします。理由としては、将来、金を稼ぐ人間に対する教育という投資は最大限するべきと思っているからです。

 この部分で私が疑問に思うのは「その能力に応じて」(現行)を「その適性に応じて」(改正)に変えている点です。この部分の私の解釈は、教育を受けるに足る能力を持つ若者が、能力(適正)が有れば法律に定める学校教育を受ける権利があるということを示しているのだと考えています。おおさかがそれを「適正」に変えたことは「経済的能力が読み込まれる」から変えたとありますが、それは一定の理があると考えています。ただあまり意味合いは変わらないのではとも感じます。私はこの能力に応じての規定により、学校の奨学金制度があるのだと捉えています。(参考条文の教育基本法にも謳っていますし)奨学金は一定以上の優秀な能力があるにも拘らず、経済的理由で進学が難しい学生のために教育の機会を与える制度です。おおさかの憲法改正により、従来の形の学費に対する奨学金は無くなるでしょう。(生活への奨学金は存続するでしょうけど)だったらこの「能力に応じて」は削除してもいいのでは?と思います。教育を受けるに足る能力の判定は法律で定める学校が判断をします。受験ですね。だから法律で定める学校が能力の判断を受け持っているので、憲法に記載する必要はないと思うんです。憲法の想定している教育には経済的理由も入っているでしょう。それを補填するための「能力に応じて」だと思うので、おおさか案で経済的理由は教育を受ける妨げにはならなくなります。だから、もう純粋に若者の能力だけの話になります。日本国民の教育に対する普遍的な考えに経済的理由はなくなるんだから、だったらもう該当部は削除でいいというのが今の私の考えです。削除により無制限な教育の機会の均等化にもならないと思いますし。

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 次は26条3項の新設です。これは幼児教育から高校教育までの全ての教育を無償化するものです。正確にいうと法律に定めた学校での教育は公の性質をもつものであるのだから、義務教育として無償化の範囲を拡充しようという事ですね。「法律の定めるところにより無償」としているのは、国(自治体)の財政状況も勘案して、政策による変動を許容しているためです。無償化が無制限の支援をするわけではなく、有限であるということですね。これはこの条項の目的を後退するものではなく、条項にある「学校における教育は、すべて公の性質を有するものであり、」により、私学も含めた教育の公益性を重視せよとなるので、現状の無償措置を後退するものではないというのがおおさかの考えです。

 私はこの新設条項を支持します。いいですね。保育所から高校までの無償化少子化対策にも有効です。

 おおさかの参考資料で私立学校への無償措置が憲法第89条の「公の財産の用途制限」の整理も必要かとありますが、必要ないんじゃないかな。法律で定められている私立学校は「公の支配」に属するものだし。

 

第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 

②統治機構改革(地域主権改革)

 

 現在の国と地方の関係の見直しですね。ここでおおさかは「地方」を「地域」としていますので、以下はその意味でお読みください。

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 現行「第八章 地方自治」です。これを「地域主権」に置き換えたという事ですね。いいと思います。 私も今後は、地方自治ではなく地域主権と書くようにしたいと思います。(まあ現行、難しいときは地方自治と書きますが)

 

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  道州制移行を明確に宣言した条文ですね。道州制が「基礎自治体及びこれを包括する広域自治体」として明確に定義されています。道州制に明確な方向性を付けてる点がいいと思います。 

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 第九十二条  地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

 現行からはかなり変わっていますね。現行条文での地方自治の在り方は国の法律で定めることになり、地方は国に属するとも解せます。これを地域の住民の意思に基づいた立法と行政を行う住民自治の原則と、自治体が国から独立した団体として団体自治を行うという事に変えています。これは明確に自治体が、国の法律から規定されるものではなく、自治体が憲法のみに規定される存在であることを謳っています。今は地方自治法などの法律で自治体は規定されています。国の法律ではなく、自治体自らが作る法律、この維新案でいえば道州条例にのみ規定される存在に自治体はなるという事です。簡単にいえば、国から自治体は立法と行政において独立をするという独立宣言ですね。では独立してどうするのかという点を以降の改正を見ていきたいと思います。

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 この条文では国と道州、基礎自治体の関係と役割分担について規定をしています。まず最初に補完性の原則に基づいて役割分担をするというものがあります。補完性の原則とは基礎自治体で出来る事務(仕事)は全て基礎自治体に任せることをいいます。現行でいえば、本来は市町村がするべき仕事を都道府県レベル、国レベルでしている事務もあります。補完性の原則に則れば、こういう基礎自治体がすべき事務は市町村に全て任せるべきという考えになります。また補完性の原則を憲法に明記することにより、従来の事務の範囲を国が決めていたのを自治体が決めるという事にもなります。具体的にいうとまず国全体の事務のうち、自治体、道州が行う事務から決めていき、残った仕事は国がやれという形になるという事です。従来の国が事務を分配していくという考え方を180度変えるものになっています。

  次に国の仕事を規定しています。国の役割として、国家としての存立にかかわる事務(防衛や外交など)やその他の国が本来果たすべき役割(国全体で行う経済の国家戦略などの基本計画など)として限定した記述になっています。そしてそれ以外の仕事は全部自治体ねっていうことになっています。国の仕事を限定しているところがミソですね。これにより、国全体の計画を国が作ることはあっても、それの地域ごとの運用は道州に委ねられることになります。現行は国の基本計画に対して、地域の自治体が何かを言える余地は余りありません。(法改正により裁量に余裕は出てきてますが)今は国の基本計画に従い、自治体は政策を立案し、国の予算をとってくることが自治体の至上命題になっています。この構造を変える意味でも大きな改正ポイントになっています。

 

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(現行)第九十三条  地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。

 

 現行の憲法では自治体の制度などは、法律で定められた存在です。おおさか案ではこれを憲法で規定しています。これは先ほど挙げた補完性の原則に従い、まず自治体(基礎自治体と言っていいと思いますが)が条例を定める。次に基礎自治体の種類(市町村など)、区域等の基本事項は道州条例で定めるとなっています。現行の地方自治体の法の在り方としては、まず基礎自治体が制定する条例。次に道州が制定する道州条例。最後に国の法律という並びにするという事ですね。そして95条で自治体の議会を明確に立法機関として定義しています。これは自治体の議会が国会と同等の関係であることを意味します。

 私はこの94条・95条は大変いいと思っています。自治体の定義の明確さが気に入ってます。ただ単純に名称の問題だけというわけでもないですが、「道州条例」ではなく、「州法」にできないのか?と思っています。おおさかの考えとしては、法律 VS 道州条例+条例という形なのかなとは思いますし、それも正しいと思います。ただ私はそれは並列でいいと思うんですよね。競い合いするものでもないし。だから、法律、州法、条例の方がすっきりすると思うんです。それぞれの役割の中でそれぞれの「法」が対等であるという考え方がはっきりわかります。また州法が「州」と「法」を入れることで、道州が基礎自治体と国の中間であるという事も意味できます。ちょっと感覚的なものもありますけど。道州条例だとあまりに自治体側に寄り過ぎてるように思うんですよね。これは以降の改正点でも見られます。(この点については後述)

 

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 道州のトップを「知事」にしている点と基礎自治体には長、首長を置けという事ですね。次の3項で首長や議員などの選挙権は明確に日本国民のみが持つことを規定しています。

 海外では地方選挙で外国人の参政権を認めている国もあります。イギリスなどはコモンウェルス(英連邦)の50数か国に属している外国人がイギリスに在住し、なおかつ選挙人登録名簿に登録して初めて選挙権を得ます。しかし日本にはそういう連邦のようなものはないんだから、外国人に参政権は必要なかろうと私は考えています。大東亜共栄圏を持ち出して、外国人参政権を要求してくるのなら考えますけど(これは嫌味です)

○2  地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

現行第九十三条2項の規定ですが、今はその自治体の住民という規定なので、外国人参政権がという話になります。これを明快に排除した考えです。

 

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 (現行)第九十四条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

  ここでの改正のポイントは条例を制定するうえで何に縛られるかを規定しています。現行憲法では、条例は法律の範囲内で制定をすることができるとされています。しかしこれは本来おかしく、条例は法律の授権に基づく委任立法ではなく、憲法に直接の根拠を持ち、法律を媒介せずに制定しうる自主立法です。この条文の解釈は様々ありますが、その解釈を一定纏めているのが第95条の改憲ポイントで、自治体の議会は立法機関とはっきり明記したのもおそらくそのためです。

 「この憲法に特別の定めがある場合を除き」は道州条例を指しているのだと思います。条例は、道州条例及び法律の範囲内で定める、という事だと思います。

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 私はここの改憲部分に疑問があります。ここでは法律に優位した条例として道州条例を定めることができるようにしています。これにより、法律の範囲で「道州所管事項」(道州の仕事の範囲)は決められます。なので、その仕事の範囲の中で決める道州条例に法律への優位性を憲法で保障しておこうという訳ですね。それにより道州条例が、法律に対抗できるとしています。

 おおさかが言いたいことはわかるんですが、私にはこれは迂遠に見えますし、自治体側、道州側に寄り過ぎた規定だと考えています。また道州条例の立ち位置もイマイチ不当な物を感じます。道州条例を憲法で明確に法律より優位があると規定してしまうと、後述するおおさかの三つ目の改憲ポイントである「憲法裁判所」において、法律が常に弱い立場になる恐れがないかと考えます。本条前項で、「この憲法に特別の定めのある場合を除き」となっているのでそれで優位は確保できてると思いますし。

 私は条例の一つとしての道州条例ではなく、法律、州法、条例で法体系を完全に3つにするべきだと考えています。そして道州所管事項を法律で規定するのではなく、州法(改正案では道州条例)で規定するべきです。補完性の原則で考えるとそうなると思います。基礎自治体の権限を条例で規定し、その残り部分である地域の広域行政部分を道州が州法により定め、残った防衛、外交、全国的なものを国が法律により定める。そしてこの三つの法は憲法の下に平等として、それぞれに何がしかの優位性は認めない。あくまでそれぞれの法がどういう目的かだけを憲法で規定しておけばいい。これでいいと思うんですよね。判断基準としては補完性の原則に則り、憲法からそれぞれの場合の優位を憲法裁判所が判断をするという事でいいと思うんです。

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 ここでは道州の地方税の賦課と道州間の財政調整を定めたものですね。国の法律で雁字搦めになっている徴税権を、道州の自主判断による課税を認めるものです。そしてのその道州間の不均衡を是正するために財政調整を行うという事ですね。

 

③ 憲法裁判所

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 ここでは憲法裁判所が国、道州、基礎自治体のもめ事を処理、判断をするという事ですね。国と道州、道州と基礎自治体の権限の境の判断をしたりするのだと思います。それぞれの権限は法で規定されますから、法律と道州条例、条例で重なった部分が出れば、憲法裁判所で最終的に判断されるという事です。ではより具体的な憲法裁判所についてみていきます。

  ここでは①②のように各個の条文を参照するのではなく、下記の図の流れを追っていきます。条文の引用はしますが、各個の条文を追っていくと全体がぼやけると思いますので。 

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  憲法裁判所の役割として、法律、道州条例、条例又は処分そのほかの行為が憲法に合致するかを判定するとあります。これは各個の法律、条令そのものや法律、道州条例、条例間の憲法適合性を憲法裁判所が判断すること、そして国、道州、自治体の権限が重複した場合、どこが権限を持つかという判断をするものと考えています。

 

 (1)法令の抽象的合憲性審査

 これは具体的な事件(実際に道州と国などで権限が揉めるということではなく)がなくとも違憲審査を行えるというものです。今の日本の裁判制度で最高裁判所が「憲法の番人」といわれていますが、こういう機能と思ってもらって構いません。まあ今の憲法解釈だと「憲法の番人」には行政権の判断などで疑義はついてますが。外交や行政の高度な政治判断が必要なものは司法は判断しないという事ですね。だからこそ維新の改正案で憲法裁判所を作ろうという事だと思っています。抽象的とあるのは、法の条文が憲法に合致しているかを判断するという事で、具体的な事例で判断するという事ではないという事です。例えば、違憲と言えば自衛隊なので自衛隊を事例にすると、自衛隊が海外に派兵される具体的な事の憲法審査は「具体的」になり、それを定めた法律の条文に対する憲法審査は「抽象的」になります。

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 維新の改正案では、この抽象的合憲性審査の訴えをできる条件として「内閣総理大臣またはいずれかの議院の総議員の1/4以上」と規定しています。日本国政府、ないし国会議員違憲審査の訴えを起こせるよという事です。

 私はこれに非常に不満を持っています。なんで国だけの権限なのかと。青字の補足に上院(参議院)を道州のものにするということですが、それでも不満です。訴えをする権利は国、全ての道州、自治体の各レベルでの政府と議会に認められるものでなければおかしいです。条例の違憲審査の訴えはこれでは起こせません。補完性の原則を道州の改正案で認めているのですから、これに則ればこの条文はおかしいです。「国、道州及び自治体の長、又はそれらの有する議会の総議員の1/4以上」という規定でないとおかしいと考えています。内閣総理大臣(政府)、知事(道州政府)、市町村長(自治体)およびそれらの議会の総議員1/4以上の訴えで違憲審査ができないとだめでしょう。自治体の権利保護の観点からも必要です。

 

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 (2)法令の具体的合憲性審査(司法裁判所からの移送を受けての審査)

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  現行裁判所での行政事件(道州間や国などで権限により係争)の裁判で、法律と道州条例などの違憲性が疑われる場合は、違憲性の判断を現行裁判所が行うのではなく、憲法裁判所がその行政事件での違憲性の判断を行うという事ですね。平たく言えば、現行裁判所の裁判で違憲審査は行うな、憲法裁判所の専権ということです。ただこの改正案では「移送することができる」で「移送する」ではないんですよね。青字の補足で3つの要件を満たすのかどうか判断した上でってなっています。まあどちらでもいいようには思うのですが、違憲性がみられた場合は憲法裁判所に移送するでいいんじゃないかな。これだと違憲性があっても裁判官の腹一つで移送されないこともあるわけだし。

  あと改正案では、現行裁判所に行政事件を裁かせてますけど、憲法裁判所を作るのならこれを今の最高裁相当として、行政裁判所も併せて新設するべきだと思うんですよね。

憲法裁判所 ← 州行政裁判所(道州レベルの高等裁判所) ← 行政裁判所(自治体レベル(都道府県かな)の地方裁判所

 改正案では憲法裁判所の一審制ですけど、こういう感じで三審制が必要なんじゃないかな。道州が全国にでき、自治体がそれに属する形になると国や道州、道州と自治体での行政訴訟は確実に増えると考えています。これは違憲性を問うというものではなく、単純にそれぞれの政府レベルでの権限や財源での争いが出ますから。世界を見ても憲法裁判所に相当するものを置いている国は、訴訟レベルに合してそれぞれの行政裁判所を置いてますし。改正案では国レベルに限っているから、一審制でいいという判断なんでしょうけど、道州制導入を見据えればそれぞれの地域に行政裁判所を置くのは必須だと思います。

 

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 (3)機関訴訟審査の権限を有する

 これは政府機関間の権利義務に関する訴訟の裁判になると思います。私が前期の項で行政裁判所の設置が必要なのではないかと書いたのもこれの為です。例えば年金でも道州がするべきなのか自治体がするべきなのか、それとも国がするべきなのか?そういった点を法的に判断する裁判は多くなるでしょう。今は全国一律の自治体の制度ですが、道州制を導入すれば各道州で様々な形のスタイルの地方自治制度がとられるでしょう。日本みたいに全国一律の制度は少数派で、多数の国の地方自治制度は多様です。そして多様性は良いことなんですが(人口規模や地域の特性、面積などで最適な自治体制度はあると考えています。よって自治体制度は多様であるべきです)逆に争いも増える事になります。考え方の違いが自治体の制度の違いになって表れるわけですから、権限に対するスタンスやその財源の在り方についても様々な考え方が出るでしょうし、それが健全です。

 

 あとここでの※で直接に国民から訴えを受ける「憲法請願」の制度は設けないという点も非常に不満です。(これは私の解釈が間違っているかもしれませんけど。)これは国民が現行法律の違憲性を問い質すもので、憲法裁判所には必須の機能です。これも国における一審制でしか考えていないので外したのだと思うんですが、これを入れなければ違憲審査の機能が果たせません。それはなぜかというと憲法というものは国民の権利・自由を守るものであり、それを規定するものです。よって法律などで憲法が規定する権利自由を侵害するものがあると国民が考えた時、それを判断する機能が憲法裁判所に必須です。憲法が規定する基本権を公権力が侵害した場合、何人でも訴えることができるべきです。憲法請願というのは基本的に憲法第16条にあるべきものだと思っています。

第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 例えば、市の条例で表現の自由を制限されたと思う国民がいたら、それを訴えることは自由です。それの違憲性を現行裁判所が憲法裁判所で判断する必要があると考えた場合、憲法裁判所に移送できるべきです。自衛隊違憲性とかそれを問題に思う人は訴えればいい。現行では最高裁がそれを一応の担保をしています。しかし、憲法裁判所が出来、その機能が憲法裁判所にゆだねられた場合、現行の国民のそういった訴えの判断を憲法裁判所が担保すべきです。 

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 憲法裁判所の判決の効力の範囲ですが、憲法に適合しない法律、命令、条例、規則又は処分となっています。これらの全ての公権力を拘束するとなっています。

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  他国での憲法裁判所に相当するものでは、選挙の結果の適法性の判断や果ては大統領が憲法違反をしていると判断した場合、罷免する権限を持っていたりします。司法は三権分立の一角ですから、相応の権限を持っているという事ですね。また、政府の法案作成に対する諮問機能(企業でいえば法務)も併せ持っていたりとその在り方は多様です。維新案にもその辺を入れれないかなぁと思ってたりします。勿論、選挙によらない裁判官に民主的に選ばれた政治家や政治の判断を覆すことは、反多数決主義ではあるので難しい問題ではあるんですけど。

 別の話になりますが、会計検査院を司法に組み込めないのかなと思っています。今の会計検査院憲法上は三権の外に在る建前ですが、ぶっちゃけ行政機関の一つでしょう。会計検査院に裁判権を持たせ、違法な行政行為やその支出に対して強力な機関にするのは有益だと思います。福島の原発事故でも公務員(議員も含む)で逮捕者が出てないのが本当に不思議なんですよね。話戻って。

 私は改正案の骨子に異論はないのですが、条約はその範囲に含めないのかという点と、これの選挙に対する解釈はどうなのかという点で疑問を持っています。条約が憲法に合致しているかどうかの審査機能は必要だと思うんですよね。まあ国と国の話ではあるのですが、猶更、国内の意見の一致を見るためにも条約審査の機能は必要だと思います。また選挙に関して一票の格差問題もそうですし、そういった意味でも行われる選挙毎の合憲性の判断は必要なのではないかと思います。憲法裁判所が選挙ごとにお墨付きを与えてるっていう事です。

 

 今回のおおさかの憲法改正原案では、教育に関しては私は100点です。ただ、道州と憲法裁判所に関しては60~70点位かな。道州に関しては、詳細なビジョンがまだできてないような感触を持っています。実際に、この原案を基にした道州成立までのロードマップがあるのか?という点で不安です。憲法裁判所に関しては、国レベルでは90点なんですが、地域レベルでは落第だと思っています。国民レベルでは0点。それが今のところの私の評価です。まあまだ原案ではありますし、渡辺さんの加入で原案から最終案がどういった形になるかは、希望も込めて注視したいところです。素人が何言ってんねんってとこではありますがw 

 

 道州制の自分の考えもうっすら見えてきてはいるので、次々々々々々・・くらいにその辺も書いてみたいと思います。遠いなw 基本的に道州制は国から地域への行政権の分割では埒が明かないと思っています。立法権の分割、分権こそが近道であり、おそらく唯一の解決方法です。そういった意味で、参議院を道州用の議院にするという維新の方向性は私の考えと合致していますし、私もその考えです。私は参議院を道州議院、いわば内政用、衆議院を外政用にするという考えです。今の首相を公選制にして大統領相当、参議院は内政担当の首相を持つとかも面白いと思います。(私は大都市の基礎自治体は、参事会制ないし議会から首長を選ぶ方がいいと思っています。都道府県は今の二元代表制で知事公選がいいですけど)そしてこれは過渡期の考えで、最終的には参議院はそれぞれの道州に分割して国は完全に一院制。道州はそれぞれの小参議院を議会として持ち、それぞれの道州でそれぞれの地方自治法を制定する。そしてその道州は各個で道州憲法を持ち、自治体(基礎自治体)はそれぞれが自治体憲章(自治体の在り方、制度を纏めたもの)を制定し、今の首長と議会の二元代表制だけではなく、参事会制度やシティーマネージャ式など多様な自治体制度を持つ自治体になる。そしてそれぞれの道州はそれぞれの州法、それぞれの自治体は各個の条例を持ち、それらの集合として地域主権を発揮して貰えたらなぁと思っています。

 

 

もはや国民国家という形では再建できない民主主義を国民国家という形式から解き放ち、道州国家という国民にとって直接コントロールしやすく見える新しい国家を創設して、主権を建て直し、それによって大衆民主主義という政治形態はそのままに、民主主義を再建しようとしているのが統治機構改革としての橋下維新の意味なのである。

橋下維新の挑戦とアンシャン・レジーム (モナド新書7) 新書 ? 2013/6/24
宮崎学 (著)

 

 以上でこの稿を終わります。 

 

<参考文献>

超入門 九州道州制がよくわかる本 単行本 – 2010/3 西川 立一 (著)

地域再生戦略と道州制 (21世紀政策研究所叢書) 単行本 – 2009/8 21世紀政策研究所 (監修), 林 宜嗣 二十一世紀政策研究所=

憲法解釈の論点 単行本 – 2005/2/25 日本評論社

レクチャー比較憲法 (αブックス) 単行本 – 2014/12/26 初宿 正典 (編集)法律文化社

よくわかる世界の地方自治制度 単行本(ソフトカバー) – 2008/10/15 竹下 譲 (著, 監修),イマジン出版