粉屋の大阪to考想

大阪都構想否決を受けて、その辺をだらだらと書いてみます。大阪の政治状況も併せて書いていきたいですね。Twitter: KONAYA @PAN_KOYA

自民党栗原府議の「大阪会議は5月17日までは都構想の対案であった」という発言についての考察

 今回は、知事選候補予定者の無所属出馬予定の自民党栗原府議の「大阪会議は5月17日までは都構想の対案であった」という発言について書いてみたいと思います。

 

知事選に出る自民の栗原府議ってどんな人?&栗原議員立候補による補欠選挙の可否 - 粉屋の大阪to考想

大阪府知事選出馬予定の栗原議員は、過去に自民党所属の森田健作さんが千葉知事選に無所属で出馬していたことを非難していました。 - 粉屋の大阪to考想

 

 栗原議員について書いた前二回は上のリンクになります。前回では千葉県知事選において、森田知事が自民党籍であるのに無所属で出馬をするのはずるいと、過去にブログに栗原議員が書いていたことの記事になります。前々回でこの問題は軽く触れたんですが、今回はもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

 

 話がちょっと逸れますが、栗原議員が自民党所属で無かった豊中市議時代に、橋下「知事」を豊中市議会の本会議で褒めている発言があったのでご紹介します。

 

 豊中市議会 平成20年 3月定例会(本会議)-03月11日-04号

 ここで当時の栗原市議はネクスト豊中という栗原議員ら新人議員で立ち上げた3人会派に所属していました。そこでの代表質問になります。平成20年2月6日に橋下さんは大阪府知事に就任後、一か月の時期です。栗原豊中市議は1期目、平成19年に当選していますから当選1年後というところですね。まず最初の質問から議事録を見ていきます。以下、橋下知事関連の発言を抜粋します。

 

 

 ◆8番(栗原貴子) お金にうるさい会派、ネクスト豊中を代表いたしまして、栗原貴子が質問させていただきます。
 早速ですが、まず初めに市長の政治姿勢について。
 9年連続赤字で、累積赤字が5兆円を超えている大阪府を再建しようと橋下知事は府立施設の見直しを進め、収入の範囲内で予算を組むと歳出削減に取り組んでいらっしゃいます
 府議会では暫定予算の審議が進んでいますが、豊中市に対する補助金も当初見込んでいるように助成される見通しが立たない状況です。
 先に行われた大阪府市長会では、知事に対する不満が飛び交ったと聞いています。市町村が大阪府を無視できないのと同時に、大阪府の再建は市町村の協力なしには語れないと思います。

 

◆8番(栗原貴子) それでは2問目を行います。
 まず市長の政治姿勢について、橋下知事所信表明演説の中で、市町村にできることは市町村にゆだねる。自治体経営の革命を起こし、新たな自治体統治を実現する。大阪府を投資会社化し、府民、市町村、民間事業者を支えると述べられました。まさに豊中市アイデンティティを持ち、横並びの基礎自治体から脱却することが求められています。淺利市長におかれましては、豊中市民である橋下知事と公私ともに良好な関係を築いていただき、大阪を笑顔にするプランを教育文化都市である豊中市から実現していただくよう強く求めたいと思います。

 

 大阪府では橋下新知事のもと、厳しい財政再建に取り組むとして、府の保有する資産、施設を今後も保有することの是非については、徹底的に見直しがされています。

 本市が保有する土地、資産についてはもちろん事業目的があって活用されているものだということは理解いたしますけれども、本市の厳しい財政状況と、持ち続けることに伴う維持管理費、利息、将来の公債費などの負担等を十分に勘案していただいて、各々の土地、資産、施設が本当に必要なのか、今一度見直していただくべきではないかと思います。そして、大阪府が大きく方向転換しようとしている今こそ、そのための絶好の機会だと思うのですが、この点について市理事者のお考えをお聞かせください。

 

  橋下知事を引き合いにして現豊中市長を攻めているって感じです。橋下知事の当時の方針には共鳴をしている部分もあったってところですかね?橋下知事のどういう部分を評価されていたのか気になる所です。

 栗原さんの豊中市議時代、大阪府時代の議会での発言を議事録で見ていたんですが、この人は会計士が職業です。そういった強みを生かして、財政問題への質問には強いように見えました。府議会でも橋下知事と財政問題に関する条例の立てつけでやりあいもしていて、なるほど府議二期目で政調会長や総務財政委員会に入ったのも伊達ではないんだなと思っています。ただやっぱりこの人は会計士さんなんですよ。この人は外部なら監査委員、内部で関係するなら議員でいた方がご本人にとって幸せだったと思います。今回、私が問題にする「大阪会議は5月17日までは都構想の対案であった」というのは政治家として致命的な失言です。知事というのは行政職ですが、役人ではありません。政治家です。政治家たる知事職に、この発言一つで不適格だと私は考えます。以下、それについて論考を進めます。

 

 大阪会議は5月17日までは都構想の対案であった

 

 この発言を私は失言と言いましたが、それは大阪自民党にとって失言なんです。それも致命的に。大阪自民はそれまで大阪会議は都構想の対案ではないと5月17日以降は言ってきました。それを「5月17日までは対案であった」と栗原議員が認めてしまったために大阪自民はこの発言以降は「対案ではなかった」とは言えなくなりました。それまで対案ではないと言ってきたことも併せて政治的に大きなダメージを受けています。そしてダメージを受けた対価は0です。政治的に何のメリットもなくデメリットしかない発言。それを失言と言います。これがまず1点目になります。

 2点目として、この栗原知事候補予定者のこの発言を正しいと仮定します。正しいと仮定して大阪自民が大阪会議を制定するまでに取ってきた行動を検証をすると、論理的に完全に破たんすることがわかります。栗原議員のこの発言をかみ砕くと、大阪会議が5月17日まで都構想の対案であったわけです。そして5月17日以降は大阪会議は都構想の対案で無くなった。ということは5月17日以降の大阪会議と5月17日以前の大阪会議にはその制度上に違いが無いと論理的におかしいことになります。

 

5月17日以前の大阪会議A = 都構想の対案

5月17日以降の大阪会議B = Aから何か変更があって対案ではなくなる

       大阪会議A ≠ 大阪会議B

 上に示したように大阪会議Aと大阪会議Bが違う形になっていないと栗原議員の発言はおかしいことになります。大阪会議Bが大阪会議Aと全く同じものならそれは都構想の対案であることになるんですから。

 

 大阪会議B = 大阪会議A = 都構想の対案

 

 上のように論理的に帰結します。では、5月17日を挟んで大阪会議が何か変わったのかと言えば、これは何も変わっていません。大阪会議はその成立までに二度、条例が提出されています。一度目の提出は、継続審議中に統一地方選挙があり、廃案になっています。二度目は都構想否決後に提出されています。これが原案一部修正され可決、公布されているのが現在の大阪会議になります。時系列を整理すると以下になります。

 

平成26年(2014年)10月16日 大阪自民、大阪市会財総務委員会「大阪戦略調整会議の設置に関する条例」(案)を付託(府議会、堺市議会でも同様の動き)

平成27年(2015年)4月12日、26日 第18回統一地方選挙

平成27年(2015年)4月29日 「大阪戦略調整会議の設置に関する条例」(案)、継続審査のまま当該 議会議員の任期切れの為、廃案

平成27年(2015年)5月17日 特別区設置住民投票 否決

平成27年(2015年)5月29日 大阪自民、大阪市会本会議「大阪戦略調整会議の設置に関する条例」(案)を提出(府議会5/28、堺市議会6/3提出)

平成27年(2015年)6月10日 「大阪戦略調整会議の設置に関する条例」(案)、大阪市会本会議にて、共産以外の賛成で可決(府議会6/11可決、堺市議会6/24可決)

大阪自民の大阪戦略調整会議ってどやねん?<その2 大阪会議の歴史> - 粉屋の大阪to考想

 

 よって、5月17日を挟んで提出された大阪会議の条例(「大阪戦略調整会議の設置に関する条例」)に違いがあれば、大阪会議Aと大阪会議Bが違うと言えますが、栗原議員の発言には正当性が出ます。では以下に、その2条例を見てみましょう。大阪市の大阪会議条例を以下に提示します。

 

大阪会議A条例:

議員提出議案第28号 大阪戦略調整会議の設置に関する条例案(平成26年10月16日)

大阪会議B条例:

議員提出議案第11号 大阪戦略調整会議の設置に関する条例案(平成27年5月29日提出)

 

 この2条例を比較した時に内容で変わっているのは附則だけです。これは可決された条例をいつ施行するかだけの問題で、条例の内容には全く関係がありません。

 

A条例が「附 則 この条例は、平成27年4月1日から施行する。」

B条例が「附 則 この条例は、公布の日から施行する。」

 

 条例の条文の内容は一字一句、A条例とB条例で違いはありません。

 また二度目に提出された大阪会議の条例は修正されますが、この修正自体は制度的に大きな変更はありません。その変更点を纏めたものです。

 大阪自民の大阪戦略調整会議ってどやねん?<その3 修正案> - 粉屋の大阪to考想

 修正した変更点の大きなものとしては、多数決の方式を全体の過半数から各自治体の過半数に変更。また協議結果の取り扱いについて一部文言の変更です。これらは大阪会議の議決方法と議決結果の取り扱いについては大きな変更ですが、大阪会議自体がこれで制度的にその目的が変わったわけではなんらありません。

 

 話がそれますがこの条例に違いがないことは、実は二回目に議会に提出されたときに問題になった点です。1回目に大阪会議の条例が提出され、そこで3自治体の議会で相当数の問題点の指摘がありました。しかし大阪自民は、全く条例を修正せずに同じ条文を提出しました。これは議会軽視ではないかといった批判が多くの会派から出る結果になっています。大阪自民が大阪会議条例を通す気がなかったのは、委員会での態度表明で維新が賛成、大阪自民は保留にしたことでもわかります。大阪自民が提出した条例を大阪自民が保留する。茶番も極りですね。話戻って。

 

 以上のように大阪会議は、5月17日以前も以降も全く同じものだったんです、大阪自民にとっても大阪会議の制度としても。よって、栗原議員の言う「大阪会議は5月17日までは都構想の対案であった」というのは論理的に成立をしません。これが例えば、8条の〇項が削られてるとか4条の文言が変わっているとかあれば、栗原議員の言うことに一分の利ぐらいは出たかもしれませんけども。

 

 結論として、栗原議員の言う「大阪会議は5月17日までは都構想の対案であった」は論理的に成立しないこと。またその発言により大阪自民を政治的に窮地に立たせていること。以上の2点をもって政治家としての栗原議員の力量に私は疑問を持ちます。大阪府の知事という職責に外交はありませんが、海外との経済的な折衝やまた国や他府県との交渉もあります。当然議会でも各会派と交渉があります。そういった場において、こういった論理的に矛盾する発言があれば、それは即、大阪全体の不利益と成り得ます。よって私はこの栗原議員が知事に相応しい人間だとは思えないことをこの稿の結論とします。

 

 しかし、栗原議員、実のところ、この発言の責任を取らされて知事を押し付けられたのかも? 議事録やブログを読んでいてもトップに行くぜ!っていう気概みたいなのは感じないんだよなぁ。まあ妄想ですけどもね。