粉屋の大阪to考想

大阪都構想否決を受けて、その辺をだらだらと書いてみます。大阪の政治状況も併せて書いていきたいですね。Twitter: KONAYA @PAN_KOYA

大阪会議が都構想の対案でなかった時代と対案になった理由 3/4<その10 大阪会議>

大阪会議が都構想の対案でなかった時代と対案になった理由 2/4<その9 大阪会議> 

 

基本的な戦略協の流れはこちらをご覧ください。

 

3.そのころの大阪市議会と堺市議会での戦略協条例

 ここまで書いて都構想反対派の方たちは、私が「売り言葉に買い言葉」や「花谷議員の思い付き」と書いてることに異論があるでしょう。この戦略協の条例は大阪府府議会で否決されますがその流れは4章で後述します。その後、大阪市市議会で提出され否決。堺市市議会は提出さえされずに終わりました。この流れを追うとこの戦略協の条例が提出されたタイミングが、前もって検討されずに「思い付き」で行われたことがわかります。

 大阪府議会では2012年3月1日に戦略協条例提出、3月7日に本会議にて条例の趣旨説明が行われました。次に堺市議会ですが、同3月1日の堺市議会本会議第1回で西村昭三議員が次の発言をしています。

西村議員「我々も、我々は我々の党として大阪広域戦略協議会いうものを1年間かけていろいろ議論しております。最終的に本当に出そうとしたときの細かいとこまで、まだ微調整ができてないから、今定例会にも対案として出さなかったけども、今、皆さんが出されているその中身、あるいは議員の皆さん方が言われたこともしっかりと勉強した中で、再度チェックしながら、次のある機会に大阪広域戦略協議会を設置する条例を出したいというふうに考えております。」

 大阪自民の堺市議団では、戦略協の条例案の微調整できてないから、今回の定例会では出せない、次の定例会には出したいという趣旨の発言ですね。同日の3月1日には大阪府議会では条例が提出されてるんですが、「微調整」とは何の微調整なんでしょうね?大阪自民堺市議団の間で条例案提出への同意が取れてなかったんでしょうね。条例案提出が急に決まったことだからw 

 ちょっと話がそれますが、このとき西村議員は、次の発言をしています。

西村議員「もともと例えば、なぜ信用できないかということになるんですけども、それは例えば選挙、知事から、そして大阪市の市長になられた、そういう、あるいは大阪都構想もつくられた。その中で、橋下市長の言葉が、その場その場でころころ変わっていく。私とこは地方で東京なんか考えてませんとか、今度は東京、当然、衆議院ねらいますと、そういうころころ変わるような、日がわりで変わるような人の意見いうのも、なかなか信用できない。それと、今、各先生方が言われたように、いろんな項目の中で、あなた方、本当に自信があるんであれば、それをせんかったら、私たち議員辞職するぐらいの、血判状とは言わないけど、判こちゃんと持ってきて提出すべきですよ。それもでけんと中途半端な条例を私は出すべきではないというふうに思いますね。」 

これ都構想をできなかったら維新議員は辞職するべきと言ってるんですよね。どこかで聞いたことがある話ですねぇ。都構想の住民投票否決後の府議会で、花谷議員は松井知事及び維新府議は辞職すべきと言っています。(17:05~)

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 最後に大阪市議会では同3月12日に柳本議員から戦略協条例を市議会に提出する旨の報告が総務委員会でありました。そして3月28日に、大阪市議会に条例を提出されます。大阪自民大阪市議団は、調整に間に合ったみたいですね。まあそれでも府議会提出が3月1日ですからほぼ一か月かかってますが。提出された条例案は、附則以外は府議会のものと同じ条例案です(大阪市提出なので、3自治体の取り扱いの置き換えはありますが文意に違いはありません)大阪府提出の附則では2012年4月1日施行になっており、大阪市提出の附則は「市長が定める」ということになっています。3月28日提出なので4月1日に審議が間に合うわけないので「施行日は市長が定める」になったってことですね。因みに大阪会議の修正条例で附則も修正されましたが、その時の附則は「施行日は規則で定める」。ここから流用したのかな?まあでも条例の修正箇所と言っても実際のところ、2・3分もかからないものですからね。提出する、しないの調整でもめていたんでしょうね。なんだかなぁ。

 大阪会議条例案の附則の施行日の変遷

1.戦略協:条例提出一か月後の4月1日に施行&市長が定める

2.一回目の大阪会議:2014年9月25日提出で施行日は2015年4月1日

3.二回目の大阪会議:修正前→公布の日から施行。修正後→規則で定める。

 

 戦略協の施行日は提出日から1か月後と短すぎたので、一回目の大阪会議条例提出は半年を取った。二回目の大阪会議条例案の施行日は、「可決されて施行」。修正で規則、つまり首長が定めることにしたってことですね。なんでここに拘ってるかというと、この施行日の取り扱いは大阪会議の肝の一つとまでは言わないまでも、大阪会議システムの重要な機能の一つになるところなんですよね。3自治体の議会で同じ条例が可決された場合の施行日をどう取り扱うか?ということです。大阪会議では3自治体の広域行政を課題にしますから、そこで決定された政策が条例案となり、3自治体の議会で同じ条例が提出され、審議・可決・3自治体で同時に施行になります。今回の大阪会議条例案と同じ流れを辿るわけです。だからこの施行日についてこうも変遷を辿るというのは、そもそも大阪会議がどういった流れで議事を進めていくか?議案を取り纏め、それをどうしていくかということについて何も協議がなされてないという証になります。少しでもそういった事を考えていれば、施行日の取り扱いもきっちり作り込まれているはずですからね。あと前にも書きましたが、可決された大阪会議の修正案の「規則で定める」もおかしくて、「3議会で最後に議決した日をもって公布日とする」でいいと思うんですけどね。施行日でもいいけど。

 話戻って3月28日に、大阪市議会に府議会と全く同じ条例案を提出されたわけですが、これは即日否決になります。同日、柳本議員から本会議にて戦略協条例案の趣旨説明があったんですが、維新の井上議員から「委員会付託を省略」の動議があり、異議なしと認められ、即日採決。本会議で否決されました。この流れだけを見ると維新ひどい!ってなります。でもね、28日の五日前の3月23日に大阪府議会にて戦略協条例案は否決されています。これは大阪府議会で協議されて否決された条例案をそのまま大阪市議会に提出した自民大阪市議団の議会軽視という方が正しいです。なんで何の修正もなく大阪市議会に提出したんでしょうね、自民大阪市議団は?二回目の大阪会議条例案も一回目に提出した時と附則以外は同じ内容で再提出しましたが、あの時は審議継続のまま廃案になったんですよね。(選挙の為に提案者が議員資格を失ったため)よって散々審議して問題点を指摘されたのになぜ修正しなかったのか?という批判は出たものの否決はされていないからという理由はつけれます、ぎりぎり。邪推すると自民大阪府議団の顔を立てるためだけに、提出したんじゃないかと思われます。だっておかしな話なんですよ、これ。大阪会議を見てもわかるようにこの戦略協の条例は、大阪府大阪市堺市のそれぞれの議会で「同じ条例」が可決されないと意味がありません。仮に大阪市議会に提出された戦略協Aが可決されたとしても、それでその後どうするんでしょう?堺市議会でも提出して可決したとして大阪府議会でどうするか?戦略協Aは既に府議会で否決されています。再可決するには修正して、戦略協Bとして再提出するしかありません。しかしその場合、仮に大阪市議会で戦略協Aバージョンが可決されていた場合は大阪市議会で廃案にして修正案である戦略協Bを審議し直しです。よって、大阪市議会で条例を審議すること自体、意味がないんですよ。よって即日否決は妥当です。

 自民大阪市議団がこのタイミングで条例案を提出したことが本当に信じられない。本当に議員なのかと。あなた方が見ているのは自民府議団だけなのかと問いたいです。大阪市民を見て仕事をしてるのならこんなことできませんよ。また条例の必要性を信じてるのなら猶更できません。私はかねてから大阪自民が大阪会議の必要性について本当に確信を持って必要だと言ってるのか疑問に思っています。こういった事を見ても彼らがこの大阪会議を必要だと考えているとは到底思えません。

  堺市議会では結局、こういった流れを受けて条例提出を見送りました。当然の判断ですね。自民大阪市議団がおかしいんです。本当に条例を通す気があるのなら、今回の大阪会議のように修正項目を付けて提出する筈です。大阪府議会の否決から提出まで五日あったわけですし。本当に理解ができません。

 2回目の可決された大阪会議の条例提出時機は大阪府議会が2015年5月28日、大阪市議会5月29日、堺市議会6月3日でした。それぞれの議会での提出は一週間も空いてません。当然ですね。この条例は3議会で可決されないと意味がないんですから。こういったことからもこの戦略協条例案が前もって準備されて条例を提出されたわけではなかったことがわかります。

 因みに一回目の大阪会議条例案提出時期は、大阪府議会が2014年9月25日、大阪市議会10月16日、堺市議会11月28日でした。堺がえらい提出が遅いですが、この時の堺市議会での大阪会議条例案の趣旨説明の中で、山根健堺市議(大阪自民)は、

「そして、本市に二重行政がないのだけれども、必要性はどこにあるのかということでございますけれども、この件はただいま提案の説明をさせていただいた中でも、大阪府・市の議員さんと草案をつくるときに議論になった件でございます。最初、この大阪戦略調整会議の設置は、もっと二重行政の解消に特化した内容にしようという申し入れもありましたところ、我々堺市議会の自由民主党といたしましては、堺市大阪府の間に緊急に解決を要すべき二重行政が存在しないことから、二重行政の解消のみを目的とした会議体であれば、我々堺市はそれに参加をするつもりはございませんと。それ以上のそれ以外のですね、政策的な協調や連携など、そのような趣旨の会議であれば、我々も一考する余地があると申し上げた中で、大阪府・市の自民党の府市議会議員団の皆様もその意見を聞いていただいて、ただいま条例上、第4条にあります協議事項の文言なんですけれども、最初第4条は次に掲げる事項、その他の二重行政となっておりましたところを、次に掲げる事項及び二重行政というふうに変えていただいたような経過もあります。」

平成26年第 4回定例会−12月08日-04号 より)

という発言がありました。大阪会議の必要性で堺市議団内でもめたんでしょうね。それで提出が遅くなったということだと思います。この辺の取り纏めにかかる時間を節約するために二回目の大阪会議条例案は何の修正もされずに出されたんだと思います。それで二回目は一週間の間を開けずに提出できたということですね。

 「二重行政の解消に特化した内容にしよう」

へーって感じですね。まぁ、何にしても大阪府議団、大阪市議団、堺市議団の同じ自民党議員同士でも、合意をとって条例提出にこれだけ時間がかかる大阪自民がいう「話し合いで解決する」って何なんでしょうね?

 

 結局、この2012年4月以降、戦略協・大阪会議への大阪自民の動きはピタッとなくなります。次に動きのあるのが2014年9月25日の大阪府議会への一回目の大阪会議条例案提出になります。この間、2年以上何の動きもなかったことになります。本当に必要なんですか?この大阪会議。維新は必要だと思う制度なら何度否決されても繰り返し条例を提出してますよ?この間、何も動かなかったことに都構想反対派の人達が疑問に思わず、「都構想の対案としての大阪会議」を受け入れられるのが判らないですね。

 次は、大阪府議会での戦略協条例案の否決までの審議の模様を見てみます。