粉屋の大阪to考想

大阪都構想否決を受けて、その辺をだらだらと書いてみます。大阪の政治状況も併せて書いていきたいですね。Twitter: KONAYA @PAN_KOYA

大阪会議が都構想の対案でなかった時代と対案になった理由 2/4<その9 大阪会議>

前回 大阪会議が都構想の対案でなかった時代と対案になった理由 1/4

 

基本的な戦略協の流れはこちらをご覧ください。

 

2.大阪広域戦略協議会が都構想の対案として位置づけられていく過程

 

 基本的に今回は大阪府議会を中心にして話を進めてますが、ここで大阪市議会と堺市議会で戦略協が初めて議事録に出た日を見てみます。

 堺市議会では2011年(平成23年)12月22日の野村委員の発言が初めてになります。この時点での大阪自民にとっての大阪広域戦略協議会はこの条例案の条文まで作成をしているが、現在は停滞しているという趣旨の発言でした。条例を提出するかしないかを協議してるというところでしょうか。

平成23年12月22日大都市行財政制度調査特別委員会-12月22日-01号より)

 一方、大阪市2011年(平成23年)11月9日の川嶋委員の発言が初めてになります。発言趣旨としては「大阪の問題を都構想という制度論で片づけるのではなく、一つ一つの具体の課題に対して戦略協で協議をすればよい。

(以下議事録から原文ママ

 「大阪市として我々名実ともに大阪府からの自立、それとともに地方政府を目指していく、そして広域的と言われる課題に対しては都市間連携を進めて、課題の解決と府県域の発展に貢献をしていきたいと思います。そやからこういうことも含めて広域戦略協議会でしっかりと議論をしていけばいいと、そのように考えております。」

  大阪市議の発言からは、戦略協が言葉として出てきただけですが、その後が重要です。ここでの発言は大阪市は府と広域の統合を図るのではなく、特別市としての独立(自立)を目指すということですね。要するに大阪自民は府議団は府と市の広域行政を府に一元化、市議団は府と市で完全に広域行政の適用範囲を分けてしまうということですね。今後の広域の権限をどうしていくかという意見が違うということです。もしくは違っていたと言ってもいいかもしれませんが。

 ここまでの大阪の流れとしては、

平成23年(2011年)4月10日、24日 第17回統一地方選挙

平成23年(2011年)11月27日  大阪市長選挙・府知事選のダブル選挙

 統一地方選が終わり、維新が躍進、W選挙により橋下市長、松井知事が誕生しています。また2011年4月に大阪自民の執行部が交代になり、花谷議員が大阪府議団の幹事長(府議団トップ)に就任しています。大阪府議会での戦略協の発言は先に紹介した2011年2月15日から2011年12月15日までありませんでした。この12月15日の本会議は松井知事の所信表明を受けてその質問のための本会議でした。質問者は花谷議員で、質問の趣旨としては、戦略協を設置すれば制度を改正することなく、広域行政の統一化は可能であると主張している、ということぐらいです。

 2011年12月27日に府市統合本部が発足し、都構想が行政機構で本格的に検討され、都構想が本格的に動き出します。都構想の議論も維新と大阪自民の間で活発に行われ、大阪自民と維新の関係もより悪化していきます。

 そしてこの翌年、2012年2月29日大阪府議会2月定例会で

戦略協は都構想の対案になります。

 【 平成24年 2月定例会本会議-02月29日-04号より 】

 花谷議員「従前から大阪府大阪市堺市の三つの地方公共団体の首長と議会が参加する大阪広域戦略協議会を設置すれば、制度改正をすることなく広域行政の統一化は可能であると主張してまいりました。今の府市統合本部会議で行われていることは、我々の提案している広域戦略協議会でやろうとしてることと全く同じです。広域戦略協議会の中で、大阪としての戦略を一つにすることを目指し、どうしても政令指定都市を解体しなければできないことがあるのであれば、そのときに検討すればいいと今でも思っています。
 今次定例会には、大阪府大阪市で構成する協議会を設立する条例案(大阪にふさわしい大都市制度推進協議会のこと。特別区設置協定書を制作した法定協の前身協議会)が提案されています。設置目的を修正していただければ、我々も賛同できると以前からお伝えしています。この点についてどうお考えですか、御所見をお願いします。」

○議長(浅田均君) 知事松井一郎君。
◎知事(松井一郎君) 「広域行政の一元化については、統合本部会議において、現行制度で実施可能なものから着実に推進してまいります。あわせて、大阪の再生には、大阪にふさわしい大都市制度をつくり上げていくことが必要というのが私の考えです。住民代表である首長と議会議員が参加して協議会を設置し、議員の皆さんと一緒になって考えていきたいと、こうした趣旨で今議会に条例案を提出しており、設置目的を変える気持ちはございません。
 大阪広域戦略協議会というものを花谷議員が、設置目的は別にあるんで、これで十分やっていけるということであれば、その設置目的を掲げてぜひ議会に御提案をされれば、議論の場が、選択肢が広がっていいんじゃないですか。

(略)

 ◆(花谷充愉君) 
 だから、我々は、広域行政を一元化しましょう、統一化しましょう、二重行政の弊害があるんやったらそれを解消しましょう、そういう仕組みをつくりましょうということで目的は一緒じゃないですか。関西州に向けて一緒にやりましょうということも一緒じゃないですか。だから、条件をつけずにやったらいいというて我々は言ってるわけです。(都構想という条件を付けずにという意味)
 先ほど知事から、対案出せばいいとおっしゃっていただいたんで、準備を始めさせていただきます。

 

このやり取りを意訳すると、

 

松井知事「大阪広域戦略協議会がやれるいうんやったら議会に出してみいや?」

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花谷議員「おお、出したるわ、ぼけ」

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って感じですか。そして大阪自民府議団は翌日の

3月1日大阪広域戦略協議会を設置する条例制定の件

大阪府議会に条例提出!

大阪府議会/平成24年2月定例府議会議員提出第3号議案の概要

本会議が2/29(うるう年)。その翌日に条例案提出。

まさに売り言葉に買い言葉!

仕事が早いな、花谷議員!

 戦略協は2009年から検討され、2011年4月の第17回統一地方選挙では大阪自民のマニフェストになっています。その後、ほぼ一年の期間が空いての条例化というだけでもアレな感じですが、大阪会議が対案となった理由が松井知事の発言から花谷議員のある種、思い付きで対案になった経緯が余りにもバカらしい。今ある大阪会議がこういう経緯で都構想の「対案」になったということが悲しいですね。

 しかし、ある意味、大阪会議の生みの親は松井知事、維新だとも言えます。

jimin-osaka.jp

 「今回の定例会で知事から提案されている「大阪にふさわしい大都市制度の推進に関する条例」案では、政令市解体等の制度を変えることから始めようとしており、これでは、堺市が協議会に入れないのは当然であります。制度だけを変えれば大阪が良くなるというのは幻想であり、政策を実行することが政治の使命であると考えています。松井知事の政治手法は手順が逆だと考えますので対案として提案しました。」

 戦略協条例提出の大阪自民府議団の公式発表です。ここで「対案として提案」とあり、公式に大阪自民が都構想の対案として大阪会議を位置付けていることがわかります。

  次回は、本当に私が書いたように条例を思い付きで出したのか?というところを見てみたいと思います。

 

大阪会議が都構想の対案でなかった時代と対案になった理由 3/4<その10 大阪会議> -